2023年5月10日水曜日

「小説の形はできていても書くことがないから中身がない」とはどういうことか

 「小説の形はできていても書くことがないから中身がない」とはどういうことか

Twitterでウケたんでそこらへんの話を掘り下げた。元ネタはこれ。

小説技法のツイートや自分のYou Tubeのアクセスを解析してつくづく思うんだが、みんな「どう書くか」には熱心だけど「何を書くか」には無関心だよなあ。
万年予選通過者の共通点は「小説の形はできていても書くことが無いから中身がない」なんだよね。

Twitterではたいした話ができないので、もうちょっと掘り下げた話。

万年予選通過者の特徴。

書いて新人賞に応募すると、1次予選は確実に通り、2次以上はときどき通る。ただしすこしずつ投稿結果が下がっている。基本、「なぜ予選は確実に通るのに最終に残らないのか」が自分でわからない。「受賞作より自分の作品のほうが出来がいい」と思うことがよくある。
年齢はさまざま。職業もさまざま。男女どちらにも存在する。

ただし「今日どんなことがあったか」という身辺雑記を書くことができない。「自分の好きなこと・もの」について、なぜ好きなのか、どんなところが好きなのか、シーンで語ることができない。

三幕構成の話とかセイブザキャットの法則などが即座に出てくる。小説の書き方本に詳しいが、自分の好きな小説を語ることが出来ない。最近読んで面白かった小説が二十年以上前の作品。

「小説の形はしているけれど中身がない」作品の特徴、というか、共通点。

そこそこ面白い。テーマは「主人公ががんばる話」。
ざっくりしているが、だいたい万年予選通過者のテーマはざっくりしてる。

主人公には目的があって、目的をクリアする。小説の体裁はできている。登場人物の区別がつき、役割分担もできている。ラスボスがいて、脇役がいて、山場がある。

主人公はおおむね十代から二十代。三十歳を超えることはない。性別は男女どちらでも。児童小説の場合は主人公が小学生。

作品舞台は、ファンタジーの場合、中華ベースなのか西洋中世なのか日本の古代なのか不明のことが多い。日本の近代を舞台にした場合、ほぼ文化文政の江戸時代。

現代日本を舞台にしている場合、時代背景は「著者が主人公のときの年齢の時代」。60代が書く場合には作中にパソコンが出てくることはない。40代の場合は携帯までは持っていてもLINEを使っていない。

児童小説の場合、学校が舞台だとカリキュラムが不明。両親の職業が不明またはサラリーマン。

点検してゆくと「作品構造だけはしっかりしているけれど、特に訴えたいテーマがあるわけでもなく、突出した登場人物でもなく、ほとんど取材らしい取材をした形跡もみられない」ということがわかる。

けっこう間違えて評価しそうになる

ぱっと読んだだけでは「なぜ予選以上にならないのか」はわかりにくい。全体の9割を超える「何が書いてあるのかわからない」作品を読んでいて、こういう万年予選通過作品にあたると、けっこう感激してうっかり高評価をつけそうになる。

ちなみにここらへんの話は「とてもよくみかける例」であって、例外もけっこうある。

まあ、そんな雑談。

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